質実剛健な“メイド・イン・フランス”の実用靴をルーツとする、パラブーツ。創業から100年余り、イゾーとチュランの村で歴史を紡いできた工房が、このたび新たな町に拠点を移した。早春の頃、ブランドの精神をこだまするかのような雄々しい山々に囲まれた、まっさらなファクトリーを訪ねた。
2016年暮れ、フランス南東の町サン=ジャン=ド=モワランに、パラブーツの新しい拠点が完成した。アルプスの玄関口の大自然を臨む、開放的なロケーションだ。フランス国内に靴工場が新設されたのは、実に40年ぶりである。アジアが世界の靴生産量の87%を占め、フランスの靴産業も例にもれず苦戦を強いられているなか、この事実は注目に値する。
パラブーツ(正しくは、同ブランドを擁するリシャール・ポンヴェール社)の新しい拠点は、本社、工場、ショールームを併設。移転の理由は、創業時より村の中心地で稼働してきた2ヶ所の旧工場の建築基準が限界に達したためだが、これまで分散していた同社の機能をより便利な立地に集めることにより、オペレーションを飛躍的に改善させる狙いもあった。
新工場では、素材から完成品までの生産ラインが効率よくU字型にレイアウトされている。自然光が注ぎ込む窓は断熱効果を高めたもので、仕切り壁や床などは最新の防音・防振材を備えた。さらにLED照明を導入し、トイレ洗浄は雨水を再利用するなど、建物全体で環境に与える影響を最小限に抑える作りだ。新拠点で働く従業員は140名。年間20万足の靴がここから出荷される。パラブーツのブランドは、今も発祥の地に根ざしているといっていい。創業者が前世紀に事業を始めた村は、新拠点から車でわずか15分の場所にあるのだ。
知られざる革新の軌跡
貧しい農家出身のレミー・リシャール氏は、類まれな才能と行動力の持ち主だった。靴工房で革の裁断師としての仕事に飽き足らず、自らデザインした靴を持ってパリの上流階級に売り込み、1908年に靴製造事業に乗り出した。その後、裕福な公証人の娘のジュリエット・ポンヴェールと結婚し、リシャール・ポンヴェール社を設立。1926年、旅先のアメリカで発見したラバーブーツから着想し、登山靴のためのラバーソールを考案した。革のアッパーに薄いゴムのミッドソールを縫い付け、厚みのあるラバーソールにそれを液状のゴムで接着させる製法だった。ブラジル「パラ」の港から輸出されたゴムは、南仏の地元の特産品でもあったクルミ油のしぼり機で原料を圧搾し、ワッフルづくりの要領で金型に挟んで加硫した。ビブラム・ソールが発明される11年前のことだった。
こうして生まれたラバーソールは、パラブーツの紛れもないアイデンティティのひとつである。この発明のおかげで、先人たちは木底の靴の代わりに丈夫で快適な一足を手に入れた。今やラバーソールを自社生産している靴メーカーは世界でここだけである。工場の棚にぎっしりと並んだ創業当初からの金型各種は、同社スタッフいわく「パラブーツの財産」だ。
ラバーソールに加えて、パラブーツの独自性を示すのは、登山、スキーや軍用靴に多く採用されていたノルウィージャンウェルテッド製法と、手縫い靴の利点を機械で実現しうるグッドイヤーウェルテッド製法へのこだわりである。今や市場で売られる靴の多くは簡易なセメンテッド製法によるものだ。パラブーツゼネラルディレクター、レジス・フォイエ氏いわく、素材から完成までそのような一足にかけられる作業時間はわずか15分。かたや、パラブーツでは2時間以上を要する。そして品質や耐久性、履き心地の良さを追求する同社の方針は、大量生産品が権勢を振るい始めた戦後に定められていった。また今日に至るまで、箱や靴ひも、金具といったパーツまで品質を優先し、なるべくフランス国内で調達する体制を維持している。
ラグジュアリーではなく、
ハイクオリティ。
革はいうまでもなく重要な原材料である。その約7割はフランスの名門タンナー、残りは欧州から仕入れる。パラブーツは、高品質のレザーの調達が年々難しくなってきていると実感している。カーフの場合は仔牛肉の消費が減ったことで、過去25年で供給量が半減。しかも最高級に格付けされるのは全体のわずか20%で、ラグジュアリー産業からの需要は増える一方。価格高騰は熾烈な奪い合いの結果でもある。
さらに国内で確保が困難なのは人材である。21世紀のフランスで、熟練工になるまで長く務め上げる人材を探すことの難題は、容易に想像がつく。それでも要求レベルを下げることや、他国に移転することはパラブーツの視野にない。
〝メイド・イン・フランス〟はラグジュアリーと関連づけられる場合が多いが、パラブーツは自社製品をラグジュアリーではなく、ハイクオリティなプロダクトととらえている。希少で贅沢なことや、イメージを売りにしない。それとは正反対に、自社が目指す靴づくりを、無骨なまで寡黙に、切磋琢磨してきたのではないだろうか。
同社の歴史をたどると、数々の画期的なシューメイキングの実績に驚く。しかしそれらは声高に主張されるものではなく、旧工房の屋根裏部屋から探し出された実物を目の前にして、やっと思い出されるものだ。たとえば、パラブーツの会社(登山靴専門の兄弟ブランド、ガリビエ)が、前述のラバーソールをはじめ、今や当たり前の装置となったスキーブーツのバックルや登山靴の一体型のベロなどを実用化させた先駆者であったこと。60年代以降、探検家ポール=エミール・ヴィクトールや、登山家ルネ・デメゾン、ロッククライミングのパイオニアのロイヤル・ロビンス、コンコルドの操縦士のジャンルイ・トゥルカなどの勇敢な人々ともにテクニカルシューズの新境地を切り拓いてきた偉業。さらに、フランス警察や共和国親衛隊の指定靴とされる高機能なフットウェアや、ヨーロッパで最も厳しい安全基準を満たしたワークブーツ(パラショック)を長年製造していることも、同社にとっては特に宣伝することではないようだ。
ファッションとの関係に対する見方も堅実だ。たとえばエルメス、イッセイミヤケ、ヨウジヤマモト、近年ではサカイ、ルメールなどのハイブランドとのコラボレーションについて、パラブーツの営業ディレクター、エルヴェ・サポリス氏は、次のようにコメントする。
「意外な素材への取り組みや、新たな視点をもたらしてくれるという意味で、たしかに好機ととらえている。若い世代にパラブーツを知ってもらうきっかけにもなる。けれど、コラボレーションは先方から求められるものと私たちの工房の能力、お互いのヴィジョンが一致した場合のみ実行します。限定商品だからといって、外見優先で壊れやすかったり、足が痛くなるようなものは作りません。パラブーツは快適に履いてもらいたいから」
新工場の設立をもって、新たな一章を開いたパラブーツ。「実直さをもって、100年後も続けていたい」という。
パラブーツとは、「vrai et usage de vrai(本物、実用品たること)」。自分たちの元にも人気の波が押し寄せ、またいつか去っていくことには自覚的だ。それでも自分たちは変わらないという。
「変わるのは時代と、私たちに向けられる視線。パラブーツを履き続ける人は、流行をものともしない〝非順応主義者〟かもしれません。よく似たコピーなら、たくさん出回っている。それらはもっと軽くて安い。にもかかわらずパラブーツを選ぶのは、きっとそれなりの信念があるからではないでしょうか」
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