『Le Yucca’s(レ・ユッカス)』靴づくりは名匠との対決である。

エンツォ・ボナフェが製作する、独創的なシューズブランド『Le Yucca’s(レ・ユッカス)』。その靴は、強い信頼感をベースとした「対決」から生み出される。

デザイナー村瀬由香さんのブランド『レ・ユッカス』。製作はエンツォ・ボナフェが手がける。

パリの「オーベルシー」やウィーンの「ザック」など、自社ブランド以外にも靴づくりを手がけているエンツォ・ボナフェ。中でもデザイナー村瀬由香さんのブランド『レ・ユッカス』の靴は、同社が手がけるいずれの靴にもまして際立っている。

例えばスタイルは往年の名スニーカーそのままに、グッドイヤーとノルヴェジェーを併用してつくられた靴。「師匠(ボナフェ氏のこと)からはノルヴェかグッドかどっちかにしろ、と怒られました」と村瀬さんは笑う。もっとも「25年もお互いコミュニケーションをとってきたから」とあまり意に介していない様子。

一方のボナフェ氏はというと「彼女との出会いは残念だった(笑)。もともと自分たちは紳士靴をつくってきて、ウィメンズシューズなんてやっていなかったから大きな困難があったし、彼女はこだわりも強いから、私たちではできないこともある。工場がここまでくるのに50年かかったけど、彼女がつくるものに付き合ってたら、さらに50年かかってしまうよ」と冗談まじりに切り返す。

木型にかけたカバーの上に描かれたデザイン画。木型の上に線を描くのは村瀬さんがデザインの際最も重要視する作業という。自然に描けた線こそが美しいという。

シューデザイナー村瀬由香さんとボナフェ氏の運命的な出会い

村瀬さんとボナフェ氏はボローニャの展示会で出会ったという。

当時村瀬さんはイタリアのシューズブランド、ストール・マンテラッシでデザイナーを務めていた。もともとはデザイナーとして、アスリート用のスポーツシューズを手がけていた村瀬さんは、ファッションシューズを手がけるべく渡伊。イタリア語をマスターした後、フランスの婦人靴シャルル・ジョルダンにてイタリアメイドの靴を手がけた。

その後ヴィヴィアン・ウエストウッドなどを経て、ストール・マンテラッシで7年間、メンズ&ウィメンズの靴に関わり、ハンドメイドの靴づくりを深く知るようになる。そして1999年に村瀬さんが自身のブランド『LeYucca’s(レ・ユッカス)』を立ち上げると、その生産をボナフェ氏に依頼した。

ファクトリーの中で打ち合わせする村瀬さんとボナフェ氏。取材時はちょうどフランスでの展示会の準備を行っていた。

ただ、当初から一筋縄ではいかなかったと、村瀬さんは振り返る。

「ウィメンズの5センチヒールを最初につくろうと、その説明をしたら〝いますぐ門から出てって〞と言われてしまいました。そこでシーズンごとにヒールの革を一枚ずつ足していって、大丈夫、ちゃんといい靴がつくれるということを確認しながら、4年ぐらいかけて5センチヒールを実現したのです」メンズとウィメンズの違いに限らず、ボナフェ氏の中に靴や靴づくりに関する独自の考え方があり、村瀬さんの創造性とぶつかることも多かった。それを村瀬さんはファクトリーの中に入り、プロセスや方法など具体的に現場で説得することでひとつひとつクリアにしていった。

そうして生み出された靴は、クラシック感やクラフツマンシップを感じさせながら、オリジナリティがある。「製法を考えるのが好きです。ファクトリーの靴づくりの技術から、着想するものがある。その技術を活かさないのはもったいない」そう語る村瀬さんは、その一方で、ハンドを駆使したつくりで迫力があるゆえに、あまり重厚になりすぎないよう、ディテールなどのデザインはごくシンプルにすることを心がけているという。

そういえばこれも「履けないじゃないか」って師匠に怒られたの、と村瀬さんが見せてくれたのは、シューレースをなくしたスタイルの、内羽根型センターエラスティックのスリップオン。もっとも今季の新作として店頭に並んでいるから、なんとか師匠を説得できたようだ。レ・ユッカスのファンとしては、今後もふたりの対決に期待したい。

photographs_Satoko Imazu, Davide Daninelli
〇 雑誌『LAST』 issue.14 より

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