日本の靴づくり対談「福井社長と木型について。」

福井靴木型製作所元社長福井氏と世界長ユニオン小田氏が日本の靴づくりについて語る。

先日、惜しまれつつ業務を終了した『福井靴木型製作所』。社長を務めた福井利三氏は、自身もモデラー(靴づくりに使う木型のベースとなる木型をつくる職人)として腕をふるい、名匠として多くの靴関係者の信望を集めていた。そんな福井氏に最後まで木型を依頼していた靴メーカー『世界長ユニオン』の小田哲史氏。親しみを込めていまもなお「社長」と呼ぶ小田氏が、福井氏の木型づくりや考えについて、さまざまに話を伺った。

御年90歳ながら、まったくそれを感じさせない鋭敏な感性を感じさせる福井氏(手前)。小田氏(奥)の質問に対しても、的確に答えていた。なお、この日の収録は、小田氏と同じく福井社長の薫陶を受けた吉見鉄平氏の靴店『レンド』にて行われた。

木型づくりのポイントは、全部だと——小田

福井利三 これがもともとの木型です。小田さんにお譲りしますよ。
小田哲史 あの、古いオールデンから導かれたという木型ですね。ある方のリクエストだったとか。
福井 ある靴メーカーの元社長さんが古い靴を持って見えて、この靴で木型つくってくれないかと。
小田 かなり履き込まれて、足なりに変形していたんですよね。
福井 そう、形もかなり崩れて、バラバラになる寸前みたいな状態で。でも先芯は入っているわけだし、中底は元の靴の形とそう変わらないから、それをもとにしようと思って。
小田 靴の中に石膏を流し込んで、型をとったと伺いました。
福井 でも足の上のほうや履き口あたりは型をとったところでわからないから、そこはいろいろと想像して削って。
小田 足なりに変形していたことが、この木型のヒントになったのですか?
福井 それは決して何か考えがあってやったわけではなくて、木型として仕上げていったら、こういうものができたということです。
小田 私がこの木型を初めて見たときに、その形状の素晴らしさとユニークさに驚きました。ビスポークの靴職人たちがベースの木型として採用していたという話もなるほどと思いましたね。
福井 この木型自体はそう新しいものではないんです。なんか良さそうな木型ができたからと、これで 20足ぐらい色々なサイズで靴をつくって、履いてもらったんです。そうしたらみんなすごく具合がいいと言うわけ。なんとか広められないかとさまざまな靴メーカーに持っていたんですが、当時は大量生産の時代で、これでは靴がつくりにくいと見向きもされませんでした。その後、独立してひとりで注文靴をやる人が増えてきたから、僕はいい機会かなと思って、そういう人たちにはこの木型を薦めていったんです。一足一足手作業でつくるから、つり込みにくさなどはあまり関係ないでしょうから。まあ量産メーカーで採用してくれたのは、小田さんのところぐらいなものです(笑)。

福井氏が依頼を受けて、古いオールデンの靴をベースに導き出した木型。「後方屈曲木型」ともいわれ、上から見たときに後方に逆「く」の字に曲がったような独特の形状が特徴だ。福井氏の手が生み出したフォルムである。
この日小田氏が持って来た木型類。黄色いパテ跡があるのは福井氏が手がけたものだ。
小田哲史氏。靴メーカーの企画として福井氏に木型を依頼する一方で、自身も木型の最適解を探求している。

小田 社長がモデル(生産用の木型のもとになる型)削り始めたのは、いつ頃からですか?
福井 昭和37年ごろかな。ちなみに福井木型に入ったのは戦後まもなくの頃です。
小田 福井木型は1917年創業、100年続いたわけですね。社長で2代目。その昭和30年代当時、木型はどんな感じだったんですか?
福井 その頃はそんなにたくさんの種類はなかった。中丸、太丸、「ケント」といってた細丸と、ブルつまりオブリーク、それとフランスという角ばった形。それぞれ長さをいくかつくっておけば、必ず売れたという 時代です。
小田 細丸やブルって、つま先の形のことですよね。ボールジョイントから後ろ、ボディ部分の種類はなかったんですか?
福井 そんなこと考えたこともなかった。とにかく、当時は先のことばかりでした。
小田 僕が最初に社長に相談したのは、モカ(モカシンステッチのある靴)の木型でした。どうしてもうちの木型のモカが曲がって見えるので、改善してほしいと。
福井 それは木型のトウの向きをちょっと内側に振れば、簡単に解決することです。それがわからなかったんでしょうね。
小田 そういえば以前社長に聞いたことがありましたよね、木型づくりの何がポイントなのかと。そうしたらその時、全部って(笑)。
福井 そんなこと言ったっけ?(笑)
小田 でも、なんで全部かといえば、結局靴と足というのは、360度あらゆる方向のせめぎ合いなんです。足の側からの圧力と、革からの反発力とのせめぎ合い。だから靴を履いてあるポイントが痛いからといって、その箇所に問題があるとは限らない。それは反対の側に起因するのかもしれない。あと、足そのものが硬いか柔らかいか、反発力の強い足か弱い足か、さらに動的評価と静的評価もあります。

底面の丸みと高低差がしっかりとついている福井氏の木型。既製靴メーカーにとっては再現が難しい一方で、ハンドメイドの靴づくりを行う靴職人には支持された。
『ユニオンインペリアル』の靴には、福井靴木型製作所が手がけた木型を使ったものも。

自分の持っているものが出てくる、というのかな——福井

福井 足は動くものですから。太ったり痩せたりもしますし、歩くと細くなるし、座りっぱなしでいるとむくんできます。そう考えると、完全に足に合っている靴や木型というのは、無理なのかもしれません。
小田 通常は、この靴をつくる場合には木型のここを2ミリ足すとか、僕らのほうで数字に置き換えて伝えるんですが、社長の場合は、例えば靴の写真を見せて、「このイメージをもとにこんな感じで」と伝えると、それでいい木型が仕上がってきました。木型の形が靴から思い浮かぶのですか。
福井 まあそうですね。あと、例えばセメント(製法)でつくるんだったら、もう少し厚みをもたせたほうがいいといったことも考えます。でもね、そこにどういう理屈があるのかといわれても、答えることはできない。木型をつくるということについては、本などがあって、そこで習ったらできるとかそういうものではなくて、自分の持っているものが出てくるというのかな、それは(伝えるには)結構難しいことではないかと思うんです。

福井社長が『ユニオンインペリアル』のために削った木型。スマートラウンドなシルエットだ。福井社長はインポートシューズのテイストなどもよく理解していたと小田氏は語る。

福井利三(Toshizo Fukui)プロフィール
2019年に惜しまれつつ100数年の歴史の幕を閉じた福井靴木型製作所社長。モデラーとして常に現役で活躍する一方、東京靴型組合の組合長など業界の要職を歴任し、さらには日本靴総合研究会など、靴と足に関する研究会的取り組みにも積極的に参加した。

小田哲史(Satoshi Oda)プロフィール
『ユニオンインペリアル』企画。インポートシューズを手がける「マグナム」を経て、1996 年にユニオンロイヤル(現世界長ユニオン)に入社。イタリアで靴修業のため一度退職し2005 年より現職。2008 年に『ユニオンインペリアル』を復活させ、企画やデザインに携わる。

photographs_Satoko Imazu
〇 雑誌『LAST』 issue.20 より

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