ミラノの靴店『スティヴァレリア・サヴォイア』を訪ねて。

採寸をするファウスト・リジィ氏。採寸の仕方、そして木型の削り方を習得すべく、マエストロのところに通ったという。

三代続いた“サヴォイア家のブーツメーカー”は、新たなオーナーのもと、より開いた靴づくりを志向する。老舗の新章を感じた。


軍のブーツづくり由来の、確かな技術、素材。

 イタリアは職人の国、とはよく聞く表現だ。確かにそうだなと思う反面、靴づくりに関して一歩踏み込んで考えると、職人というよりは、「職人性」の国ではと思ったりもする。というのも、その物づくり、特に靴づくりにおいてはイタリアには程よく機械化された小規模なファクトリーが多い印象があるからだ。そしてそのファクトリーでは手仕事の工程もまた多い。ある程度マスプロダクションな物づくりの中に、職人性を巧みに織り込む、それがイタリアの物づくりのイメージだ。

 そんな彼の地において、ビスポーク=ス・ミズーラの靴づくりは、どうなのだろうか。以前ローマで取材したいくつかの靴店は、オーナーが亡くなったり、店そのものが全く違う形になっていたりして、数が少なくなっている。フィレンツェでは深谷秀隆氏の活躍が聞こえてくる一方で、彼の地の靴職人のスター的存在だったステファノ・ベーメル氏が数年前にこの世を去った。近年よく耳にするのは、職人の高齢化だ。後継者不足は、もともとファミリービジネスが多いイタリアだからこそ、より深刻な問題なのかもしれない。

 そこで、イタリアの街で、ス・ミズーラの靴店を覗いてみようと、白羽の矢を立てたのが、今回訪問したミラノのStivaleria Savoia(スティヴァレリア・サヴォイア)だった。

 センピオーネ公園に隣接する街区の、トラム行き交う道ぞいに、スティヴァレリア・サヴォイアの店はある。歩道に面した大きな窓、注文靴店としては、かなり開放的な印象だ。店内では、壮年の男性と女性、ふたりのスタッフが取材班に対応してくれた。聞けばこの工房は彼らが切り盛りしているという。その身なりは職人というよりは熟練したセールスクラークという印象だったが、彼らも職人として仕事を行うという。「ファウストは採寸と木型づくりの担当、私はパターンづくりを担当しています」。こう語るのは女性スタッフのシルヴィア・ソーマイニ氏。先代のオーナーの時代から、30年ほどここで働いている。当初はそれこそ販売的な仕事に就いていたそうだが、必要に迫られ、職人としての仕事もこなすようになっていったという。

「職人たちはどんどん高齢になっていくので、私たちも(靴づくりを)やらないと、この靴店やハンドメイドの靴づくりがなくなってしまいます」。そう話す彼女の背後には、ス・ミズーラのサンプルが並んでいた。その中には「Ballini(バリーニ)」と記されたものも多く見られた。スティヴァレリア・サヴォイアという名前にピンとこなかった人でも、このバリーニに聞き覚えがある人は多いに違いない。ミラノの注文靴店として、かつてはエドワード・グリーン製のプレタポルテも展開していた靴店、それがバリーニだった。そしてスティヴァレリア・サヴォイアは1870年の創業以来、代々バリーニ家によって営まれてきた。ところでスティヴァレリアとは「ブーツメーカー」の意。もともとは軍用の乗馬ブーツなどを手がけ、その後王家だったサヴォイア家の騎馬隊用ブーツをつくるようになったことから、この名がついたといわれる。「もっとも、当時の軍はそれこそ王家のための軍だったわけですから、軍御用達はそのままサヴォイア家御用達になるのかもしれません」とソーマイニ氏。さすがに少なくはなったが、いまもブーツのオーダー、時にはアフリカでのハンティング用のブーツのオーダーなどが舞い込むという。

 そして現在、この店のオーナーはバリーニ家ではない。2004年にバリーニ家の手を離れ、ナポリのネクタイの老舗として知られるマリネッラが新しくオーナーとなったのだ。ちょうど取材時に電話をかけてきたマリネッラ社のマウリッツィオ・マリネッラ社長は、次のようにその背景を語った。

「この国における職人文化と、その衰退には自分も敏感です。昔からバリーニ家の人たちはよく知っていたし、こんな素敵なブーツメーカーがなくなってしまうのはもったいないことなので、オーナーになることにしたのです。自分たちの会社とも、職人性ということで繋がっていますしね。職人文化を絶やさないことが大事なんです」

 ちょうど2004年にセールスとして靴店に入ったファウスト・リジィ氏も、靴づくりのマエストロたちがどんどん高齢化していく中で、靴づくりに関わることになっていったという。「引退されたマエストロの家に行って勉強したりもしました」とリジィ氏。

 彼らのほかにも、ボトムメイキング担当の60代のフィリッポ氏、アッパーのクロージングを自宅で行う80代の女性がスティヴァレリア・サヴォイアの靴づくりを担っている。さらに最近では、ミラノに拠点を移した靴職人の古幡雅仁氏が週2回、この工房で靴づくりを行なっている。

店内の様子。正面の壁に備え付けの棚の意匠は、1960年代ぐらいのもの。店内に並んでいるブーツなども1950年代の古いものが多い。
ビスポークのサンプル。人気はローファー、モンクストラップとのこと。ブラウン系が中心なのがイタリアらしい。

伝統の継承はフランクな姿勢から?

 ちょうど木型の削りがひと段落したリジィ氏が手を休めて、同店の木型づくりについて説明してくれた。

「ラストメーカーにオーダーした細いタイプと幅広なタイプ、2種のスタンダードな木型を使い、それを削り、革を乗せてまた削ったりを繰り返しながら、お客様の木型を仕上げていきます。底面形状が重要で、ヒール底面の丸みや、ボールジョイント間の凹凸などに注意します。そうしないと、足が靴の中で前に行ってしまいますから」

 その後ソーマイニ氏が階下の木型のストックや革のストックを案内してくれた。「アウトソールの革はフランス・ボルドーのタナリーで鞣したベンズを使っています。インソール用はドイツのレイデンバッハのもの。それらは逆だと不都合なんです。フランスの革はインソールには合わないし、レイデンバッハはアウトソールに使うと重くなりすぎてしまう。タナリーの人に工房に来てもらって、さらにフィリッポがいろいろ試してみて、ようやくここに行き着いたのです」

 地下から階上に上がると、ちょうどフィリッポ氏がラスティングの作業を行なっていた。口に含んだ釘を出しながら打ち付けていく昔ながらのやり方。パンテレリア島のブーツ工房で働いていた父の手伝いで子どもの頃から靴づくりを行ってきた彼は、靴づくり歴47年ほど。その手元の動きはキャリアを反映するかのように淀みないものだった。

 ふと気づくと、工房エリアを囲うガラスの外に数人の紳士が集まっていた。

「彼らはサルトです。これからここで顧客の採寸を行います。ここにはテーラーの窓口もあって、アポイントを入れれば職人が来てくれます。また傘のオーダーもできるんですよ」と、ソーマイニ氏が見せてくれたのは、一本木でつくられた立派なハンドルを持つ傘だった。こうした総合性への志向は、マリネッラ氏の方針かもしれないと感じられた。ミラノのような街ならば、それぞれのアイテムが職人性という共通項をもって、共存できるかもしれない。そんな風にも感じられた。

 取材後半、リジィ氏に採寸のデモストレーションをお願いしたときのこと。計測した数値を見ながら少し頭をかしげたリジィ氏を見て、作業をしていたフィリッポ氏が近寄りいろいろとアドバイスをしたのが印象的だった。その気さくな感じは、英国などのビスポークの靴づくりを見て来た人間には新鮮だった。おそらく職人がオーナーの靴店では、こういう感じにはなりにくいかもしれない。他業種とも交流する一方、よりよい靴づくりを素朴に、フラットに模索する。今日、伝統は案外開いた感じで継承されるべきなのかも、そんなことが頭をよぎった光景だった。

店舗のファサード。店の前の道にはトラムが行き交い、風情のある光景。

Stivaleria Savoia
via V. Monti angolo via F. Petrarca, 8
20123 Milano


photographs_Satoko Imazu
text_Yukihiro Sugawara
◯「LAST」issue12 /『ミラノの靴店「スティヴァレリア・サヴォイア」を訪ねて。』より抜粋。

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